「男は一度くらい山に入ったほうがいいんだ」
「男は一度くらい山に入ったほうがいいんだ」
八ヶ岳の麓に住むおじさんが酒をちびちび飲みながら語った言葉が忘れられない。夏休みを使っておじさんの家に遊びに来ていた中学生の私は、山に入るどころかキャンプすらろくに経験したことがない都会っ子。「山に入る」と言われても八ヶ岳の中腹の洞穴かなんかでたき火をしながら一晩を過ごすことぐらいしかイメージできなかった。でもそういうアクティブな経験をすることで人間の深み的な何かがきっと増すんだろうと感想を抱いたのを覚えている。
「1か月くらい」。私の予想を上回る山籠もり期間を、おじさんは提示してきた。山で何かを得るためにはきっとそれくらいの時間が必要なのだろう。しかし1か月は長い。山はもうちょっと経験を安売りしてくれないのかと文句を言おうとした瞬間、おじさんが目線を逸らし私の足元を見た。「まあ、山に籠ろうと思わない人生も、それはそれで幸せなのかもしれないけどな」。果たしてどちらが正解なのかと思案していると、おばさんが今朝採ったばかりだという新鮮な桃をテーブルに置きながら「そんなこと言ったら(私)のお父さんに怒られちゃいますよ」と笑った。
おじさんが教えてくれたこと
数年後、おじさんは交通事故で亡くなった。
葬式に向かう父の背中を見ながら私は冒頭の言葉を思い出した。おじさん自身の山籠もりエピソードはきれいさっぱり忘れてしまったものの「山に入ったほうがいい」という一言だけはハッキリと脳裏に刻まれていた。おじさんは腎臓を悪くして人工透析を10年以上続けていたが、愚痴をこぼしたり、辛そうな表情をする場面を私は一度も見たことがない。おばさんが内職をしていたくらいだから家計も楽じゃなかったのだろうが、苦労したエピソードも現在進行形の悩みもすべて笑い話に変えてしまうすごい人だった。
結局私が山に入ることはなかったけれど、未知の世界に飛び込む勇気を教えてくれたおじさんのおかげで旅が好きになった。初めての一人旅も行き先はおじさんの家だった。おじさんは真面目な人だったが、娘さんは地域で一番の暴れん坊と結婚した。更生して大工の棟梁になった暴れん坊がいつも私に「お義父さんは本当にすげえんだ」と甲州弁で教えてくれた。何があったのかよくわからないがきっとそうなんだろうと思った。
おじさんが赤ら顔で若い時の苦労話をし、横でおばさんがニコニコしながら相づちを打つのを見るのが大好きだった。「山に入れ」と言ったおじさんは、困難な現実に直面しても、たいがい笑って乗り越えていける、誰からも好かれる人だった。そんな生き様こそ、おじさんが本当に伝えたかったことだったのかもしれない。